

お念仏とともに、心晴れやかに
お念仏とともに、心晴れやかに
― 第二十一世住職 環誉孝英 御挨拶
宗紅寺は、佐賀県伊万里市の西部に位置し、山に囲まれた静かな境内からは、江戸時代には肥前陶磁器(古伊万里)の積み出し港として栄え、多くの船が航行した伊万里湾を望むことができます。参道の階段を上がり境内から見渡せば、先人から受け継がれた美しい田園風景が眼下に広がります。この恵まれた環境の下、宗紅寺は、弔いの葬儀・追善供養の大切さを伝え、ご家族の皆さまが、先立たれた方々との思い出と共にこれからの人生を健やかに歩んでいけますよう心を込めて努めてまいります。
合掌
開山(お寺を開いたお坊さん)は唱蓮社念譽了達上人、開基(お寺を建てた人)は佐々木與三兵衛尉宗綱という二人によって宗紅寺は建立されました。 その時代は永禄~元亀間と伝わっており、元亀元年は西暦1570年ですから、今から四百四十年以上も昔のことです。
開山上人は江戸増上寺の役僧にして、幕府の命によりキリシタン退治の為に全国各地を布教していました。全国の至る所に寺院を建立し、肥前の国にたどり着いた時、佐々木與三兵衛尉宗綱氏と出会い意気投合し当寺は創建されました。 その後、開山上人は慶長弐年七月十五日に『随所寺院建立』という志願を果たすために漂然と当山を去り、それから戻ることがなかったため、この日を以って示寂の忌日と定めています。
一方、開基佐々木與三兵衛尉宗綱は、筑後国中尾村より肥前国松浦郡奥浦村(現伊万里市東山代町長浜)に来て、時の国主鍋島家に仕えておりました。 鍋島直茂の命を受け奥浦村の塩田開墾に従事し私財を投じ自己の彼官を集め二十五戸の一部落を附し製塩を行っておりました。宗綱(そうこう)氏は一門の菩提を弔うとともに浄土宗法弘通の道場とするために、自らの所領の地である茅の原に一寺を創建し、宗紅寺(そうこうじ)と名付けました。宗鋼氏は慶長十四年八月五日(西暦1609年)に亡くなっています。
また、鐘楼堂は第十五世住職(前島氏)による再建創造です。当山は明治三年三月九日の火災により本堂を除く一切の伽藍及び記録等が消滅したため、以上に記す内容は、第十八世住職説譽上人が第十七世仁譽上人より伝聞されたものです。新本堂は、令和7年2月に建立されました。
宗紅寺は、浄土宗の寺院です。浄土宗は、鎌倉時代に法然上人によって開かれた仏教の宗派です。仏教は、人間として生まれた以上、逃がれることができない苦しみ(老いること・病気になること・亡くなること)からの解脱を願い、真の幸せ(人間であることの尊さ)に気づき正しく生きることを目指します。
浄土宗では専修念佛(ただひたすら、南無阿弥陀佛と称える)を教えとしております。
このお念仏の教えは、老若男女、時間や場所を選ぶことなく実践できるため、忙しい現代人にも適応する教えです。
・松浦鉄道「楠久駅」から歩いて約12分です。
・お車の場合は、西九州自動車道「伊万里東府招インター」から約25分でお越しいただけます。